こんにちは、考える犬です!
さて唐突ですが、みなさんジブリ好きですか?
僕は大好きです。
どれくらい好きかというと、最新作「君たちはどう生きるか」の視聴にあたり劇場にメモを持ち込んだ挙句、12,000文字分の分析記事を執筆するくらい好きです。
では質問を変えて、
みなさんジブリで何が一番好きですか?
うーん、これは悩む。
ジブリのファンであればあるほど難しい質問ですよね。
僕はこれまでこの質問に対して、「千と千尋の神隠し」と答えてきました。
さて、そんな「千と千尋」ですが、先日久しぶりに視聴したら、これまでと全く別の見方になって驚いたというのが今日のお話。
せっかくなので大好きなこの映画を、少し腰を据えて語ろうと思います。
…あ、もちろん当然のようにネタバレを含みますので、嫌な人は「戻る」推奨です。
では、ネタバレ問題なしの方は以下よりどうぞ!
0.はじめに
千と千尋の魅力って、一言でいうと「世界観」だと思うんですよね。
こんな感じで。
- 和と亜、それにスピリチュアルが混在した、独特な世界観
- 一番のクライマックスが一番静かな電車のシーンというセンス
- 雨が降ると海ができて、その中を走る電車がある。駅とは?「沼の底」とは?奇妙で不気味で美しい。
- 随所に見られる「神話のルール」の引用
→トンネルのむこうは異世界
→神様のものを食べると、罰としてブタになる
→あちら側の世界に入ると、消えてしまう。
→しかし、あちらのものを食べると世界に馴染める
→振り返ってはいけない
→電車に乗ってあっち側へ行く
断片的ですが、こんな感じ。
興行的に大成功を収めた「もののけ姫」に続き、のちにそれをも上回る「千と千尋」を公開したこの時期、宮崎駿の作家としての才気は神懸かり的な域に達していて、もはや怖いものなしの状態。
結果として、これまで以上に自分しか理解できない要素や引用をたくさん盛り込んで話を作っていたと思う。仮にそしてそれが理解されなくても、一向に構わんとでも言うように。
ただ、一見してよくわからなくても宮崎駿ことだから全てに何かを意味があるのは間違いなくて、それが作品の不気味な説得力だったり、禍々しい魅力になっている。
そういうのを見て楽しむ映画だと思っていたんですよ。今まで。
それが今回見たら、すごく分かりやすく宮崎駿の優しさが見えて驚いたのです。
自分の視点が変わったのかな?
ともかくこの作品は、親の保護を離れ、未知なる世界に飲まれる若い世代への、宮崎駿なりのエールがあります。
…いや、エールほどあからさまじゃないな。
宮崎駿らしくぶっきらぼうに、
「この世界ってのは、こういうもんだから」と
暗に助言しているのです。
今回感じ取ったことを、シーン別にまとめます。
1.異世界に迷い込み、湯屋で働く
異世界に迷い込み、困惑する千尋。
「社会に出るってこんなものだよ」という隠喩にも思える。もちろん「社会」というのは一つの例で、広義には「どこか、これまでと違う世界」と言えるだろう。ともかく、得体のしれない異世界に放り出されたとき、無力な少女はどうすればよいのか??
・自分の意志とは関係なく、異世界はあなたを飲み込む。
・そこにはわけのわからない人がいて、化け物のように見える。
・その化け物は理由もわからず、あなたを蝕もうとする。
湯屋の仕事に取組むシーン。
職場とは社会の縮図である。規模の差こそあれ、各々がそれぞれの事情で動く。
千尋の働く湯屋もそうで、そこに「かわいそうだから助けてあげよう」などという他者からの親切を望むのは見当違いである。何故なら彼等だって自分のことをこなすのに精いっぱいで、他者に構っている余裕など無いのだから。
ましてやそれが仕事における新参者なら尚更。下手にかかわれば迷惑を被るし、それで自分の評価に影響するかもしれない。それが嫌なら、関わらないこと。
千尋は嫌というほどそれを体感し、孤独を感じる。
それを描くのがこのシーン。孤独な千尋は、しかし、辞めることはできない。何故ならこの世界から出る手段がわからないし、頼りの両親は豚に変えられ、囚われているのです。
千尋はハクの言いつけ通り、油婆婆に「仕事をください」と頼み込む。
もちろん腑抜けの千尋が自分の意志で労働など望むはずもないけれど、しかし、仕事をもらって湯屋にいることを許されなければ、得体の知れない化け物が蠢く外に放り出されるだけ。あるいは、両親と同じく豚に変えられてしまうかもしれない。
この時点で「仕事をもらう」とは「生きる」ことと同義であり、放棄すれば存在自体許されなくなる。
「仕事」とは社会に与えられた役割で、それを持たない者に居場所などない。そして新入りとは、「自分で乞い願い仕事を与えられた者」である。そこでは「自分を殺し、一旦すべてを飲み込む」ことを要求される。
・仕事は役割であり、それなしには存在が許されない。
・すべてを飲み込んで、受け入れるしかない。
・最初は親という依存先があった。嫌なものは嫌と言えた。
・まったく違うコミュニティに飛び込んで、頼れるのは自分だけ。自分がやるしかない。
2.湯屋で働き、居場所をつくる
湯屋での労働は続く。
しかし先ほどとは打って変わり、中盤以降の彼女はどことなく肝が据わっており、ある程度のことでは動揺しなくなる。周りの同僚に冷たくされてもめげず、オクサレ様というとてつもなく臭い客の接待を命じられても、文句を言わずこなす。
これは千尋が、「ここでやっていくんだ」と心を決めたからだと思う。
千尋には、両親を解放するという目的がある。それを達成するために、あらゆる理不尽や困難を飲み込む覚悟をした。それが「心の成長」であり、「大人になる」ということなのだろう。
人は加齢ではなく、やるべきことに向けて、自己を押し殺す覚悟をしたときに成長するのである。
社会に出るとは、急遽大人になることを強いられることでもある。
・仕事とは理屈抜きにやらないといけないもの。そこに自分の意思は関係ない。
・ただそれとは別に、人には人生を賭けてやるべきことがある。
・それを達成するために、あらゆる理不尽や困難を飲み込む覚悟をすることが
「成長」であり、「大人になる」ということ。
・それは多くの場合、自分ではなく、他の誰かの為である。
みんな大好き、おにぎりのシーン。
しかし、人間ずっと張りつめている状態は、危うくもある。
特に千尋のように自分を押し殺し、理不尽を飲み込み続けるというのは本来とてもストレスのかかるものだ。彼女は突然化け物だらけの湯屋にひとり飛び込み、誰にも(おそらく直属の上司のリンにさえも)弱音を漏らさず働き続けたのである。実はこれはいつ破裂してもおかしくない、非常に危険な状態と言える。
誰かが解放しなくては、いつか潰れて再起不能になるかもしれない。
でも大丈夫。
千尋の場合は、ハクがその役目を担ってくれました。
彼は「両親を解放する」という千尋の心からの願いを知る、唯一の人物である。
※湯婆婆を除く
彼に連れ出され、ブタとなった両親を目にすることで、千尋は今一度自分自身の欲求に対峙した。非情な現実に沈み込んでしまった千尋は、ハクの「魔法をかけた」というおにぎりを口にし、わんわんと声をあげて泣く。
このとき千尋は、ずっと抑え込んでいた
「辛い」「悲しい」「帰りたい」「両親に会いたい」
という気持ち(=欲求)を解放することができた。
バクバクとおにぎりに食らいつくのは、欲求を解放したことの象徴とも言える。
でも、これで彼女はもう大丈夫。一度この段階を乗り越えた人間は、一まわり強くなる。晴れやかな顔でハクと別れ、湯屋へと戻る千尋からは、それが感じられるはずだ。
・人間が心を殺して働くのは限界がある。
・どこかで本心を解放しないといけない。それがないと潰れてしまう。
・それを乗り越えれば、人はもう一度頑張れる。
余談。
このおにぎりのシーン、これまで何気なく見ていたのに、今回なぜか一番泣きそうになってしまったシーンである。
色々なことを我慢していた千尋が、その欲求を解放していく様子が生々しすぎる。
頑張ってたんだなぁ。辛かったよなぁ…。
凛とした表情で頑張ってた頃を思い起こすと「あの頃はすごい抱え込んでたんだろうな…」と考えてしまい、なんだか理不尽に耐える新入社員をなんとかしてやりたい上司みたいな心境になった。
余談②。
このシーンで千尋の救済という重要な役目を担ったハクだが、そもそも「はじめ優しいのに再会したとき別人のような冷たさ」などという熱い手のひら返しで、千尋のストレスの要因を作ったのもお前である。
湯婆々に悟られないために致し方ない部分はあるが、
優しい → 冷たい → すごく優しい
というコンボで少女のメンタルをぐちゃぐちゃにする様は、典型的な女をダメにする沼男を彷彿させる。
だからジブリで屈指の女性人気キャラなのかな?(多分違う)
ともあれ、この辺りを掘り下げてもうひとつ記事を執筆したので、よければどうぞ。
3.終盤、物語の核心へ
心を殺して働いた千尋。
その努力はいくつかの成功につながり、彼女を評価する人物は少しずつ増えていく。
評価だけにとどまらず、彼女のことを気に入る人物も出てくる。リンや釜じいは勿論、ハクも味方と判明した。坊やカオナシも千尋に惹かれているのは明らかだし、おそらく湯婆婆でさえも千尋のことが気に入っていたはず。
湯婆婆は意地の悪い口調に隠れがちだが、明らかに人への執着が人一倍強い人物だ。
これは言い換えると、すぐ人を気に入ってしまう(=愛情深い)ということ。最後に勝負を持ちかけてまで千尋の解放を渋るのは、「気に入った千尋を手放したくない」気持ちの表れ。
千尋の己を顧みず仕事に打ち込む姿勢は周りの人の心を開き、彼女は自身の居場所を勝ち取ったのである。
・心を殺して頑張っている人のことを、時に評価する人がいる
・好きになってくれる人がいる
・その人はあなたの助けになろうとしてくれるかもしれない
さて、リンにハクに窯爺、カオナシに坊や湯婆婆にまで一目置かせる存在となった千尋。
実はこの中に、一人異質な人物がいる。
それは、ハク。
仕事を通じて千尋への信頼を深めていった他と違い、彼だけは千尋が仕事をする前から、もっと言うと出会ったその瞬間から彼女の味方だった。
なぜか?
それは彼は川の神で、幼いころから千尋をずっと知っていたから。
終盤、千尋が龍になったハクの背に乗り、
「昔、川に落ちて…」
という話をするシーンがありますが、おそらくこのとき千尋は溺れかけ、命の危険さえあったと考えられます。
つまり子どもの頃、裸で川遊びしていた千尋は、靴だけでなくおそらく自身も流された。しかしその後、川の中に手が伸びる映像が重なる。(更に宮崎駿の絵コンテにはこの部分、「子どもの手」という記述がある。)
これがどういったことを意味しているかはわからない。宮崎駿は明言をしない人だから…ただ自分が思うに、ハクはそのときどういった形にせよ千尋の命を救ったくらいのことをしていると思う。
つまり彼は、この世界で出会う前からずっと千尋を守っていた。
千尋自身も知らないところで、命を懸けて守ってくれていた。
そのハクを思い、千尋もまた命をかけたクエストを達成したとき、この世界で名前を失い、神としても半人前と、迷子ような存在だった彼は、ついに名前を取り戻し、本物の神として救済された。
これから先、千尋が元の世界に戻った後も、ずっと。
きっと彼は、目には見えない形で、千尋を守り続ける。
「千と千尋の神隠し」は、そういう話だと思う。
4.宮崎駿の作品に込めた思い
文字にすると陳腐化するかもしれない。
それでも僕は、宮崎駿の少女へのメッセージは、こういうようなことだと考える。
・あなたはこの世界で、たくさん辛いことに耐えることになる。
・世界はあなたに構わず、それぞれの事情を内包して蠢いている。
・だから簡単に期待してはいけない。見返りを求めてはいけない。
・でも、心を殺して頑張るあなたには、きっと少しずつ味方が増えていく。
・たとえ目に見えなくても、あなたを守ろうとする誰かがきっといる。
・あなたは気づかないかもしれないけれど、案外色々なものに守られているんだよ。
・だから、あなたはきっと大丈夫。
5.筆者の所感
以上が今回久しぶりに「千と千尋」を鑑賞した感想である。以前まで「不思議でありながらも魅力的な世界観の映画」としてぼんやりと鑑賞していた本作品、今回はっきりと「新入社員・千尋のサクセスストーリー」として捉えてしまった自分に、僕自身驚いた。
しかし、考えてみれば不思議だ。そもそも当時から、宮崎駿はこの作品について
「12歳の女の子へ向けて作った」
と明言していたのに、なぜ気づかなかったのか??
これまでも見えていたのに、注目しなかった。スルーしていた。
逆に今回はなぜ、気づいたのか??
…それは自分が、「若い世代を応援する」視点を持ったからだと思う。
思えば、あの頃親の世代は、こんな気持ちで「千と千尋」を見ていたのかもしれない。
新人時代、苦労や理不尽に耐え、それでも少しずつ自分の居場所を確保してきたけれど、そんな自分がいつしか新しい世代を受け入れる側になった。そんな経験をしてきた人は、心の中で千尋を応援していたのだろうか。
余談だが自分は視聴中、職場の新人の子を思わずにいられなかった。
時に理不尽に耐えながら、それでも笑顔で居場所を作ろうと奮闘する女の子。
社会に出て間もない方に、僕は言いたい。
「きっとあなたが一番頑張ってるよ」と。
新人の苦労は、やたら軽視されがちだ。そりゃ新人の業務は簡単なものかもしれない。でも、
知識もない
経験もない
伝手もない
頼める部下もない
そんな状況で臨む業務は、あらゆることを知り尽くした上司よりも、しんどいに決まっている。でも、心を殺し、覚悟を決めて取り組むあなたを、誰かが見ているかもしれない。
それは決して
「がんばれば、いつか報われる」
なんて単純な因果ではなくて、でも、わけがわからないくらい色々なものが複雑に絡み合ってこの社会は成り立っているから、あなたの頑張りが影響して、確実に状況は変化する。
その結果として、誰かがあなたの助けになってくれるかもしれない。
それは目に見える誰かかもしれないし、あるいは目に見えない存在かもしれない。
そしていつしかあなたもまた、誰かを助ける日が来る。
その時はもう一度、この素晴らしいアニメーション映画を観てみてください。
「千と千尋の神隠し」。
きっと千尋のひたむきさに胸を打たれるはずですよ!
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