聴く者を包み込むような、深く響く声。
優しく語り掛けるような、歌い方。
カレン・カーペンターは、おそらく僕が人生で一番好きな女性ボーカリストだ。
兄のリチャードと、妹のカレンによる兄妹デュオ。
カーペンターズは、万人に愛される音楽だ。
クラシックを学んだリチャードによる、精巧なアレンジ。
ロック全盛の1970年代という時代にも関わらず、徹底的なアクの無さ。
繊細さと母性が混在したカレンの存在感と、声の心地良さ。
時代を超えて色あせない音楽を「ever green」と呼ぶけれど、
彼らの音楽はまさにそれだった。
心を込めて作られた良質な音楽は、時を超える。
時代も、世代も、国境をも超えて、今もどこかで彼らの音楽は聞かれている。
僕がはじめてカーペンターズのCDを手にしたのは、確か中学生の頃だった。
もちろん日本でも生活に溶け込む彼らの音楽を耳にする機会はあったけれど、
僕がCD売り場でカーペンターズのベスト盤を何気なく手に取り、一聴して、
その一曲一曲をきちんと聞いてみようと心に決めたとき、
残念ながら彼女はすでに世を去ってしまっていた。
彼らの音楽は徹底的なまでに良質なポップソングであって、
主義主張や、人生観が込められたものは多くはなかった。
デビュー曲にしてビートルズを大胆にカバーした「Ticket to Ride」も、
ノスタルジーに溢れた「Yesterday Once More」も、
カントリー調の軽快なイントロではじまる「Top of the World」も、
どれも耳なじみの良い、攻撃性のない楽曲だ。
それでも、これらの曲を楽しそうに歌うカレンがこの世にもういないという事実は、
フレディや、ジョンレノンや、あるいは尾崎豊を聞くときと同じように、
聞く度に否応なしに「死」というものを意識させられた。
当時の多くのスターがそうであったように、
「close to you」がヒットした後の彼らもまた、殺人的なスケジュールに忙殺された。
ドラムを叩きながら歌うのが好きだったカレンは、ファンの「よく見えない」という
声によりステージのセンターに出て歌うことを余儀なくされた。
(ドラマーとしてそのキャリアをスタートした彼女は、自らが「歌えるドラマー」で
あることを誇りに思っていた。そして、そのどちらも驚くほど上手かった。)
彼らがスターとしてのキャリアを重ねてゆくのに比例して、コンサートの会場は
大きくなり、そして演出は派手になものになっていった。
彼らの音楽性を考えると、それはおおよそ似つかわしくないものだったのだが、
しかしリチャードは、コンサートの演出を考える作業にも追われた。
そして、その合間には、作曲、編曲作業に忙殺された。
そうしてこの兄妹は、精神的にすっかり消耗してしまった。
それでも、カレンは楽しそうに歌っていた。
果たして誰か彼女を幸せにできなかったのか。
こんなに世界中に愛され、また幸せを与えてくれた彼女が、
たった一人の誰かの愛を手にしないまま、死んでしまうなんて、
そんな悲しいことが許されて良いのか。
だから、僕はカレンカーペンターと結婚したかった。
でも僕がカーペンターズを聞いていたとき、彼女はもう世を去ってしまっていた。
コメント
僕もこれ以上の女性ヴォーカリストを知りません。
いつかアナログLPを再生する環境ができたら、オリジナル盤を探したいと思っています。
ただ、つい最近知ったのですが、彼女があんな風になってしまったのは、母親のせいだということ。彼女が亡くなった時もとてもやるせない思いでしたが、それが更に強くなりました。とても残念です。
https://www.elle.com/jp/culture/celebphotos/g26463935/carpenters-karen-carpenter-story-as-a-working-woman-190315/