山崎まさよしの可愛さに魅了された

山崎まさよし

彼は僕の”推し”なんだと思う


「一番好きなアーティストは?」



それは、音楽が好きな人ほど困ってしまう質問だろう。

多様な音楽を聴けば聴くほど、
それらを単純に比較、順位付けすることが難しい。

でももし今僕がこの質問をされたなら、
おそらくかなり悩んだあげく、「山崎まさよし」と答えるはずだ。

山崎まさよしステレオ


彼は僕のいわゆる“推し”である。

でも世間一般の人にとって、「山崎まさよし」ってどんな認識なんだろう?


名前は知っている。
曲も2、3曲はわかる。
でも音楽性はよくわからない。
多くの人にとってはそんな印象だと思う。


今日は、そんな「山崎まさよし」について、腰を据えて語りたい。


きっかけはSMAPの「セロリ」

今は昔。
国民的アイドルになりつつあったSMAPが、ある曲をリリースした。
曲名は「セロリ」

我が家でも、母親がカセットテープにセロリを録音してくれた。

当時の僕にとって音楽を聴く場といえば車の中で、機材はもちろんテープとカーステレオだった。
「ありがとう」とカセットを突っ込み、再生した。

流れてきたのはSMAPの歌声ではなかった。



なんつーかもっと特徴的で、ワウワウしていた。

小学生の自分は率直に「変な声だな」と思った。
その個性故に、セロリという曲より、ボーカルの歌い回しに耳がいった。
誰が歌っているかの方が気になってしまった。


「この人だれ?」と母親に伝えると、
「これはこの曲を作った人だよ」と教えてくれた。

それが歌手:山崎まさよしとの運命の出会いだった。



あれから時は流れ、現在。


今僕は、彼のことが大好きだ。


彼の音楽が好きだし、人柄が好き。
ちょっととぼけたMCも良いし、そこからの超絶ギターテクのステージなんて最強だ。


でも僕にとって彼は何というか、好きになるまでの経緯がちょっと変わったアーティストだった。

上記の出会いから少し時間が経ち、たしか高校生の頃。
当時、僕のまわりで、彼の音楽を聴く人は少なかったと思う。


でもなぜか僕はあるとき、
「よし、そろそろじっくり腰を据えて山崎まさよしを聞いてみよう」
と思い立った。



当時の僕は近所のレンタル屋で毎週2,3枚のCDを借りるという習慣があって、それからしばらくは山崎まさよしを毎週のようにレンタルした。どんなアーティストも、ベストアルバムと2枚ほどオリジナルアルバムを聞けば大体の音楽性を知ることができたし、何曲か好みの楽曲を見つけることができた。


そうして僕は、ミスチルを、ラルクを、グレイを、槇原敬之を、平井堅を、手当たり次第に借りては、スポンジのようにどんどん「吸収」していったのである。


しかし…彼の音楽は、僕の予想を超えてつかみどころが無かった。


「セロリ」や、「One more time,One more chance」はさすがに知っていた。
その曲が好きで、どこか同じような系譜のバラードを期待していたのもあると思う。
「バラードの歌い手」という勝手なイメージが、少しだけあった。

しかし、そんなイメージは早々に間違っていると思い知った。
そもそも彼は、バラードばかりを歌うようなアーティストではなかった。


もちろんスローテンポの曲は数多くあるけど、少なくとも分かりやすい失恋の歌とか、一般受けしそうな感じはしなかった。むしろ、それまでJポップを多く聞いていた自分には耳なじみのない、難解な響きをもつの曲が多かった。完全に良さのわからない、取っ付きにくさすら感じる曲もあった。「水の無い水槽」とか、そんな感じである。

それでも僕は山崎まさよしを理解したかった。好きになりたかった。
なぜかわからないけど、「自分は絶対この人の音楽好きになるはず」という確信があった。
今思えば中々危ない。


しばらくして、ブックオフに行けば彼のアルバムが殆ど数百円で買えることに気づいた。
若干のもの悲しさもあったが、でもまぁ利用できるものは利用しようと思い、CDを一つずつ買い、じっくり聞いてみた。そうこうしているうちに、彼の音楽像というものが少しずつ見えてきた。



「ブルースマン」山崎まさよし


まず前提として、彼はブルースの人だった。


それもクラプトン以降に多くのアーティストが解釈し、さらに洗練させてアウトプットした現代風のブルースというよりは、よりクラシカルなブルースをルーツに持っていた。例えば、ロバートジョンソン、マディウォーターズといったより土着性を持ったと言うのだろうか、とにかく土の匂いを感じた。


彼は即興のブルースを披露できたし、アコースティックギターのみならずスライドギター、ブルースハープの名手だった。自身の楽曲も、そうした楽器を中心として構成・演奏されたものが多かった。

楽器だけではなく、構成もそうだ。

ブルースのルールである3コードを基調とし、そこに日本語を乗せた、いわば和声ブルースとも言えるオリジナルを、彼は多く持っていた。もちろん歌唱方法やギターの奏法も、ブルースの影響を強く感じさせた。


はじめて彼の音にふれた時に感じた、「アク=土臭さ」の正体は、
古き良きブルースのエッセンスだったのだ。


そうした音が、Jポップばかり聞いていた自分の耳になじみが無かったのは当然だ。


それが彼の個性であり、武器である。


あれから時間が経ち、多くの才能ある若手ミュージシャンが台頭したけれど、
彼のような音が鳴らせるミュージシャンは、どこにもいないのだ。


「ずっと一人でギター弾いてた暗いやつ」山崎まさよし

ここらで、彼の人柄についても紹介したい。

まず、彼はシャイだ。
そしてどちらかというと、孤独な人だと思う。


1つエピソードを紹介したい。


たしか、あのCharとの対談だったと思う。
Charは、「ギタリストはみんな暗い奴なんだよ」 というようなことを語っていた。

山崎まさよしは先輩の話に、熱心に耳を傾けていた。
Charが主張していたのは、以下のようなことだった。

明るい奴はギターなんかやらない。
そういう奴らには仲間がいっぱいいて、
旅行へ行ったり、飲み会したり、女の子と遊んだりするのに忙しい。


仮にギターを手に取ったとしても、もっと楽しいことがたくさんあるから
やり込んで上達するような時間はない。



だから、友達もいなくて、時間を持て余して、
暗い部屋で、ずっとギターを弾いているようなやつが
いつか驚くほど上手くなったりする。



だからお前を初めて見て、そのギターのテクニックを目の当たりにしたとき、
俺は「こいつは暗い奴だな」と思った。



「ずっと一人でギター弾いてたんだな」と。

それを聞いた山崎まさよしは、たしか苦笑していたと思う。

「ひどい言われようだなぁ」とでもいうような笑顔。それが彼のシャイな人柄を表しているようで、かわいらしかった。ちなみにその後、2人で3コードのブルースをセッションするのだけれど、アドリブで適当に歌いまくるCharと裏腹に、山崎まさよしは歌わない。照れ臭そうに、笑っているだけだ。

Charに「お前も歌え!」と促され、やっと歌い始める。
と思ったら、蚊の鳴くような小さな声だった。

なんてことだ。

恥ずかしいのである。

プロの、40過ぎ(当時)のミュージシャンが、である。
なんなんだ、この可愛らしいおじさんは。

そんなエピソードに触れるにつれて、

僕は彼のことを少しずつ理解したような気がしていた。


彼が本当に音楽が好きなこと。
音楽の楽しみ方を知っている人であること。
そしてどこまでも孤独な人であること。
と同時に、音楽の楽しみ方を共有しようとする人であること。
あらゆることに対して、彼固有の考え方を持っていること。
それを他人に押し付けることは絶対にしないこと。


いつのまにか僕は彼が大好きになっていた。

彼の音楽を理解しようとする過程で、彼という人に完全に魅了されてしまった。こんなの初めてである。

余談だが、お酒が大好きな彼と
いつか酒を飲み交わしながら、音楽の話がしたい。

それが僕の密かな夢である。

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