「Mr.ChildrenはHOMEから聞かなくなった」って友は言う

Mr.Children

「ミスチル好きだったんだけど、HOMEから聞かなくなったんだよなぁ」

あるとき友人の一人にそんなことを言われた。

熱心なミスチルファンならここで反論したり、
HOME以降の名曲、名盤の数々を熱く語るかもしれないが、
それを聞いて僕は、

「ああ…ちょっと分かるなそれ」

と思った。

こんにちは。考える犬くんです。


初めに言っておくと、僕は正真正銘ミスチルが大好き。
楽しい時も苦しい時も、いつの日もこの胸に流れてるメロディ。


もちろんHOME以降のアルバムも大好き、
全てCDで所持しているという、疑う余地の無いファンである。


…ただそんな自分も、上記の「HOMEから聴かなくなった」発言については、
「そういう人もいるかもなぁ」と思ってしまった。



というのも、HOMEってミスチルの転換期とも言えるアルバムじゃないですか?


今日はその辺りのことを掘り下げてみたい。



さて、まずここに、ミスチルのアルバムを発売日順に記してみる。

いや、並べるとちょっと圧がすごいな…。
あまりの作品の密度に目眩しそうだ。

まさに名盤量産マシーン。


さて、問題の「HOME」はというと、2007年発売の13thアルバム。
これまで計20枚のアルバムを出していることを考えると、
ちょうどキャリアの折返しといったところか。


確かに僕自身、この辺りからミスチルにある変化を感じるようになった。


ここで、少しそれ以前の作品群を見てみよう。

これもよく言われることだが、4thアルバムの「Atmic Heart」以降、
ミスチルにはある種の危うさが感じられるようになった。

それまで純粋で良質なポップソングを量産していた若手バンド、ミスターチルドレンは、
この頃からフロントマン桜井和寿の苛立ちや、生々しい葛藤といったネガティブな感情を
色濃く楽曲に反映させるようになってきた。


以下の歌詞など、それが顕著だ。

近頃じゃ 夕食の話題でさえ仕事に よごされていて

様々な角度から 物事を見ていたら 自分を見失ってた

引用:innocent world_Mr.Children


中々病んでいる。

さて、次の作品、5thアルバムの「深海」ではさらにその色合いを強め、
結果、これまでに無く陰鬱な雰囲気を孕んだ作品に仕上がった。

爽やかなポップバンド、ミスチルの新譜を待望にしていた当時のファンからは
驚き、あるいは戸惑いをもって迎えられた。


桜井さん自身、その後のインタビュー等では

「あの頃は自分達を取り巻く環境があまりに急激に変わり、疲弊していた」

という趣旨の発言をしている。

死にたい、死にたいと、いつも思っていた」とも。


ただ、そんな状況であっても、彼は曲を作ることをやめなかった。

そうして生まれた曲は、もちろん単純明快なラブソングもあったけれど、
生々しいもの、荒々しいもの、実験的なものなど。

「どうせ売れるんだから、何でもやってみよう」というような、
ある種開き直りを感じさせるものもあって、
ただ、そのどれもが危うい魅力に満ちていた。


「深海」で心の深淵に潜水してから、さらに探索を続けた6th「BORELO」
わずかに光明を見出したような7th「DISCOVERY」に、
湧き出るクエスチョンに忠実に実験を重ねた9th「Q」へと続く。

この「Q」により彼は深海からの脱出を宣言したとされているが、
(ジャケットで桜井さんが潜水服を着ながら陸にいるのは、その暗喩である)

それを証明するように、10th「It’s a wonderful world」では、
憑物が落ちたように軽やかになったミスチルがいた。

ようやく長い暗闇を抜けて、しかし軽快なだけじゃない、
一癖も二癖もあるポップソングを奏でていた。


その後、桜井さんが小脳梗塞により、まさかのダウン。

バンドは半年間の療養期間を経て、その後、
11th「シフクノオト」へと繋がっていく。



ただ、このアルバムは…



2004年のリリース時のことをよく覚えているけれど、
ちょっと次元が違った。


正直、当時のヒットチャートを賑わせていた他のアーティストが
軒並み薄っぺらく見えてしまったほどだ。

これまで命がけで自己探究を続けていたMr.Childrenは、
気づけば誰にも手をつけられないほどの怪物へと変貌していて、
特に絶望の深海から生還した桜井和寿の歌詞の世界観は、
他の誰にも到達できない、ある種の哲学性すら帯びはじめていた。

抱いたはずが突き飛ばして 包むはずが切り刻んで

撫でるつもりが引っ掻いて また愛 求める

引用:掌_Mr.Children

子供らを被害者に 加害者にもせずに

この街で暮らすため まず何をすべきだろう?

引用:タガタメ_Mr.Children

たとえば誰か一人の命と 引き換えに世界を救えるとして

僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ

引用:HERO_Mr.Children

鬼気迫る歌詞だ。

それぞれの歌詞が、まるでナイフのような切れ味を持ち合わせていた。


ここからは大分僕の想像だけど…


たぶんこの頃桜井さんは、
「このままいくと、もう先がないな」くらいに思ってたと思う。

楽曲のスケール感は膨らみ続け、大概のものは歌い尽くした。
信じられない数の名曲を世に送り出し、十分過ぎるほどの商業的成功も収め、
精神的にも安定を取り戻しつつある。


そんな自分が、これから更にでかいことを歌ったとして、
果たしてそこに説得力はあるのだろうか?」と。

立ち止まり、一度振り返り考えてみたはずだ。
ここまで必死でやってきて、自分は何を残せただろうか?



次は、何を歌えば良いのだろう。




やがて、13thアルバムがリリースされる。

「HOME」だ。

僕のした単純作業が この世界を回り回って

まだ出会ったこともない人の 笑い声をつくってゆく

そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える

引用:彩り_Mr.Children


彼が目を向けたのは、おそらく「身近にある愛しいもの」だった。

精神的に疲弊した時代をなんとか切り抜け、
その間、壮大な歌もたくさん生まれたけれど、
「もう、そろそろいいだろう」と。
一旦その風呂敷をたたむことにした。


これまで自分のことで必死で、視野が狭くなり、
顧みてこなかった身近で愛しい人たちへ。
きちんと向き合い、笑顔を見せることを決心した。


実際、その頃くらいから桜井和寿の「笑顔」を見ることが増えたように思う。

でもそれは、優しいだけの笑顔じゃなくて、
本当は人一倍警戒心が強く、一度は人間不信になりかけた男
もう一度誰かに向き合おうとした、決意と勇気を秘めた笑顔だ。


だから桜井さんの笑顔は、素敵だ。
これほどまでに多くのファンを魅了し、勇気づける。


というわけで、この頃をターニングポイントとして、
これ以降のミスチルの楽曲は、以前より少しだけ穏やかで、優しくて、
そして余裕を感じさせるものが増えたように、自分は思う。

もちろん「HOME」以降もミスチルは多く作品を発表し続けていて、
その一つ一つに違う色があり、新しい音像を描いてくれる。


そのどれもが鮮やかで、瑞々しくて、その時代のミスチルが躍動している。
ファンは、それら時代の一つ一つ、全てが愛おしく、大切で、宝物だ。


皆心の奥の方に、「自分だけのお気に入りのミスチル」を持っているはずだ。

もちろん、僕も。





でも…





「あの頃のギラギラしていたMr.Children格好良かったな」
って気持ち、死ぬほどわかるよ。


いや本当に。


格好良かったよなぁ。あの頃のミスチル。

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